大文字五山送り火とは

京の夏の夜空を焦がす伝統行事で、葵祭・祇園祭・時代祭とともに京都四大行事の一つとされています。

「大文字の送り火」「大文字焼き」と呼ばれることもありますが、京都では「大文字五山送り火」が正式です。五山で炎が上がり、お精霊(しょらい)さんと呼ばれる死者の霊をあの世へ送り届けるとされています。

八月一六日に行う盂蘭盆会(うらぼんえ)の行事午後八時、精霊(しょらい)の送り火として京都盆地の周囲の山に「大」から順に、「妙」「法」の文字と、船・鳥居をかたどった火をともす。
「大」は左京区大文字山と北区の左大文字山、「妙」「法」は左京区松ヶ崎の西山・東山(妙法山と総称)船形は北区船山、鳥居形は右京区曼荼羅山。
それぞれの形に火床を設け、松割木を井桁に組んで点火するが、鳥居は松明(たいまつ)を火皿にのせる方法でともす。
松明の火を空に投げて霊を見送る風習から山に点火するようになった。
仏教が庶民一般に浸透する室町期以降に起こったとみられるが、文献上の初見は、万治元年(1658)の「洛陽名所集」。
また、延宝七年(1679)の「日次紀事」七月一六日の頃には左大文字が加えられ「翁草」には鳥居形が見える。享保二年(1717)の「諸国年中行事」には市原の「い」、鳴滝の「一」が載る。
さらに西山には「竹の先に鈴」、北嵯峨には「蛇」、観空寺には「長刀」があったという。 出典:京都大辞典

大文字山の「大」 浄土寺・大文字山 点火 - 20:00 大文字山の「大」
一画八〇メートル、第二画一六〇メートル、第三画一二〇メートル、火床数七五。斜面に大谷石を設置、松割木を井桁に積み重ねてその間に松葉を入れる。一六日午後七時、山上の弘法大師堂で般若心経をあげ、仏前の酒(護摩酢と呼ぶ)で身を清めて、親火から灯明から移し、点火。

俗伝では、昔、山麓にあった浄土寺が炎上した際、本尊阿弥陀仏が峰に飛び移って放った光明をかたどって点火したのが起源といい、それを空海が「大」に改めたとする。また、空海が左右上下に七五基の火を焚き、飢餓・厄病の退散を念じたとも伝える。

行事は、大文字山麓、旧浄土寺村の銀閣寺町・銀閣寺前町・東田町・南田町・石橋町の五ヶ町が維持。

点火に用いる護摩木に氏名・年令・性別を書いて志納すると厄除けになるといい、また水や酒の入った丸い盆に送り火を映して飲むと中風にならないとされる。

燃え残りを白地に包んで水引で縛り、戸口に吊ると厄病除け・盗難除けになるという。 出典:京都大辞典
松ヶ崎西山の「妙」 (万灯籠山・水源地山) 東山の「法」 (大黒天山) 点火 - 20:05 松ヶ崎西山の「妙」 東山の「法」
それぞれ火床数一〇三基と六三基。鉄製受皿の上に松割木を井桁に組む。

堀町・辻町・中町・川町・西町(以上「妙」)および東町(「法」)が維持。「妙」は徳治二年(1307)松ヶ崎村が日像の教化で天台宗から日蓮宗へ転宗した際、日像が妙の字を書いて点火したと伝え、「法」は涌泉寺の末寺大妙寺二世日良が書いたという。

点火後、涌泉寺で題目踊を行う。 出典:京都大辞典
船山の「船形」 (西賀茂山・妙見山) 西賀茂・船山。 点火 - 20:10 船山の「船形」
左右二〇六メートル、上下一三三メートル。火床は八二基で三方をブロックで囲み、松割木を井桁に組む。

船形は精霊を乗せて送るといい、精霊船とよばれる。西賀茂鎮守庵町・総門口町・今原町の西方寺を中心とする若衆が維持。

点火後、西方寺で六斎念仏を行う。

俗伝では、西方寺開祖の円仁が承知年間唐留学の岐路暴風雨にあったが、南無阿弥陀仏と唱えて無事帰国できたので、その船をかたどった。 出典:京都大辞典
左大文字山の「大」 大北山・左大文字山。 点火 - 20:15 左大文字山の「大」
第一画四八メートル、第二画六八メートル、第三画五九メートル火床五三基。コンクリートの火床の上に松割木を井桁に組む。

旧大北山村の三〇余戸が主体となって維持。衣笠街道町にある法音寺の灯明から大松明に火を移して親火とし、全員が縦隊を組んで山に登る点火儀式を行う。

護摩木は、午前中、金閣寺で受け付ける。 出典:京都大辞典
曼荼羅山の「鳥居形」 (万灯籠山) 嵯峨鳥居本・曼陀羅山。 点火 - 20:20 曼荼羅山の「鳥居形」
笠木の長さ七二メートル、柱の長さ七六メートル、火床一〇八基。細く割った松のジン(根や芯部に脂のたまった枯木)を末広がりの束にした薪松明に火を移し、火床にのせて点火。

旧鳥居本地区の青年有志が維持。
空海が石仏千体を刻み、その開眼供養の際点火したのが始まりと伝える。 出典:京都大辞典